社長の生い立ちと「家づくりへの想い」

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昭和35年6月15日名古屋市緑区で、第2子長男として生まれました。
父は地元で有名な自動車整備会社で、昔ながらの平屋の借家に住んでいました。

父は会社の組合活動に熱心で、よく組合の人たちとキャンプなどに連れていっれもらった記憶があります。

昔から足だけは速く、小学生対抗の短距離の選手になり、それをきっかけに中学3年間は陸上部で走高跳をしてました。

私が中学の時に父が分譲住宅を購入して、戸建てを購入し
私も自分の部屋ができ、嬉しかったです。

それと同時期あたりに、親戚のおじさんも家を購入して、引っ越しの手伝いに行き、帰りにうなぎを食べさせてもらったと思います。
私の記憶の中では、その時のうなぎが、最初の美味しいうなぎでした。
今もそのうなぎ屋さんには、年に3.4回父母のお墓参りの帰りに寄ってきます。

父は自動車関係の仕事でしたので、自動車にも興味がありましたが、
中学の技術の授業で、図面を書くことがあり、
とても興味を持ち、いずれ自分で設計図を描いて、自分の家を建ててみたいと思うようになりました。

高校卒業後は、夜間の建築の大学に通いながら最初は車のタイヤショップでアルバイトをしてました。
しかし、建築の想いがあったので、タイヤショップを辞めて、設計関係の下水設計のアルバイトをしていましたが
父親が事故で亡くなりました。その後、姉が結婚して母と二人暮らしになり、給料の半分を母に渡していたと思います。

姉の知り合いの方から工務店を紹介され、名古屋市内の小さな工務店で働きはじめました。
建築の大学には通っているものの、現場のことは全く分からず、
業者さんの親方に、いつも叱られていました。
でも昔の親方さんは、厳しく叱られますが仕事の流れ・段取りを教えていただき、
よく飲みにも誘ってくれたりして、いろんな人の繋がりとか人情とかも教えていただきました。
今もその業者さんの息子さんとは付き合っていただいています。

建築業は、多くの業者さん、職人さんとの連携のもとに成り立っている仕事なので、
私は現場監督として勤務しておりましたが、時には職人さんと一緒に作業しホコリまみれになりながら
現場を完成させてきました。

20年お世話になった間には、その工務店の中で独立採算制で仕事をさせていただき
その経験もその後の独立のきっかけになったと思います。
独立採算性は、会社の都合でまた元に戻り、会社員にもどりました。

前工務店に勤務中に、従業員が増え役員になり経営にも興味を持つようになり、
その当時の社長さんが大工さんから会社を興し、従業員10人の年間新築6棟から8棟、年商6億の会社にされたのを尊敬してました。
そんな中先代の社長さんが引退し、社長が変わり、先輩が社長を引き継ぎ、最初のうちは社長と二人三脚で会社を回しているつもりでしたが、
少しづつ考え方のズレを感じるようになり、
独立する気持ちが強くなり、周りの方に相談をしていました。
いろんな方からのいろんな意見をお聞きしましたが、独立の意思は変わりませんでした。
そして、長男が高校入学と同時に、会社を辞め、妻には大変苦労を掛けてしまいました。

平成14年4月に前工務店を退職し、前工務店の時にお世話になった方々からも少しづつ声がかかるようになり、
翌年15年9月に「有限会社 ハウスメイク タカギ」を設立しました。

工務店は、一度家を建てたら20年30年とお客様とお付き合いさせていただく仕事と前社長、多くの親方に教わってきました。
その気持ちは、今も変わってません。

今住んでいる家も26年が経ちますが、今も家にいるのが一番好きです。妻も何年経っても飽きが来なくて好きな家だと言ってくれます。
私はそんな家を、お客様にも建てて住んでいただきたいと思ってます。

子供さんが、小さいときには兄弟仲良く元気よく家の中でも遊べて、
暑いときには窓を閉めていてもエアコンがよく聞いて涼しく、冬の寒いときには室内は暖かく、

春や秋には窓を開けても風通しがいい家で過ごしていただきたいと思ってます。

子供さんが、独立されても実家に帰るのが楽しみになる家になり、
自然と家族みんなが集まってくるような家づくりのお手伝いが出来たらと想いってます。


ハウスメイクタカギ 代表取締役社長 髙木 聡

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